IE9ピン留め
どうか、広い心でお読みください。
by gakoyo
手帳を変えよう

春始まりの手帳。とっくにリニューアルの時期だ。
どうせなら、カバーも変えたい。

いま持っているのは黒い手帳。実は中身も真っ黒だ。
愚痴やら弱音やら恨み節やらが黒々とつづられていて
読み返す気力すらない。

今度はピンク色の手帳がほしい。
ほんとにカバーをピンクにするかは別として、
嬉しかったこと、じんとしたことをひとつずつ
ていねいに綴っていけるような、
そんな手帳にしたいんだ。

一皮むけたかどうかはわからないけど
恥をかいてじばたして死にものぐるいで掴んだものが、いまの私の糧になっているのは事実だ。
# by gakoyo | 2008-02-26 18:29 | ザッキ
強い人
強い人っていうのは
どんな悲しいことがあっても
何事もなかったかのように
微笑んで“しれっ”としていられる人のことを言うんだと思う。

それは薄情とかそんなんじゃない。

世の中は、いろんな落とし穴が隠されていて、
ふとした瞬間、足許をすくわれたりする。

それでも何事もなかったかのように
悠然と構えていられるような。
たぶんそんな人のことだ。



# by gakoyo | 2008-02-05 11:32 | ザッキ
「3人の他人」
ついさっき、ふと急に、つらくなった。


そのむかし、体育の時間のドッジボールで、
キャッチできなかった球が胸を強打し、
一瞬、呼吸が出来なくなってパニックになったことがある。
あれに凄く似ていると思った。

忘れよう、捨ててしまおう、と思っていても
ふとしたところに地雷は仕掛けられていて、
否応なく卑怯な球をぶつけてくる。
何の心構えもできてない私はふいをつかれ、
ただ苦痛がすぎるのを悔しい思いを秘めながら、
じっと待つしかない。

さらに困るのは、この状況を
だれにもどうにも説明できないことだ。
「いま卑怯な球を投げられたから痛みが引くまでちょっと待っててもらえませんか?」
そんな意味不明なこと、絶対言えない。
いままで上機嫌だったのが突然暗くなったりするものだから、
周りに言わせれば「よくわからない奴」のひとことだと思う。
それがいっつももどかしい。

「こんなことで負けてはいけない。」
気分を切り替えなきゃ、なかったことにしなきゃ、と
何度もつぶやきながらひとりになるため
自分の部屋に逃げ込み、ネットを開く。
そして目に留まったのが、「ほぼ日」のダーリンコラムのなかの
<過去の自分・現在の自分・未来の自分>という文章だった。

http://www.1101.com/home.html


自分というものを「3人の他人」に置き換える
糸井さんの考え方は客観的でとても面白い。
そして、読んでるうちに気がついた。
いつも、ボールを仕掛けてくるのは、実はだれでもない
「過去の自分」だったんだ。と。

「過去の自分」はそう簡単には捨てられないのだ、本当は。
いくら捨てようとしてもアーカイブスとして確実に残る。
サファリのキャッシュを捨てるように、
そう簡単にはいかないのだ。

いくら、「なかったかのように」振る舞っていても、
何かの拍子で突然目の前に現れ、
「逃げ仰せたつもりかい?」とあざ笑うのだ。
それに他人の記憶は絶対に消せない。
「過去の自分」と関わった多くの人の記憶には
履歴として残ってしまうはずだ。

友人関係がこれまであまり長続きしなかったのも
きっとこれが原因なんだろう。
「過去の自分」に「現在の自分」の容量が間に合わなくなり
かといって何度消しても消しきれない。
だからもう「強制終了」するしかなかったのだ。

人前で恥をかいたり、つらくなったり、
険悪なムードを感じるとその都度
消せない「過去の自分」から逃れるため、
これまでの関係を強制終了して強引に逃れてきた結果が、
「現在の自分」なんだ。


じゃあ、どうすればいいのか?
これはもう、強くなるしかない。
逃げて逃げ切れないのなら、
球をひらりと交わすしなやかさを身につける。
それか若しくは、どんな卑怯な球も真正面からガッチリ受け止め、
「オラオラ、そんなんでオレを倒せると思ったか?」と、
「過去の自分」にお見舞いしてやるしかないのだ。

せめて互角にやり合うくらいにまで、つよくなるしかない。






# by gakoyo | 2008-02-02 20:23 | ザッキ
此処ではない何処かへ

いつもそう思っていた。

恋の語源は『来い』だ、ときいたことがある。これが本当かデマかは知らないが、私は『乞い』ではないか、と勝手に思っている。
いつもどこか遠く、とりあえず此処を抜け出す“何処か”を目指して夢見ていた。
しかし「何処か」なんて本当はどこにもなかった。勝手に描いた幻想に過ぎなかった。
もし、恋が相手を「乞う」ことだとしたら、私の場合、それよりも相手の背景にある『何処か』を目指し、乞いていたのかもしれない。



八丈島に住む、97歳になる名物ばぁちゃん『恒ばぁ』のドキュメンタリーをみた。


「人の恩を忘れるなんて人間じゃないよ。」


かつて、最愛の夫に先立たれ、失意のあまり畑仕事にも出られなくなってしまったばぁちゃんを救ってくれたのが島の人々だった。ばぁちゃんはいまも夫の弔問に訪れた客を記した帳簿を大切に保管し、恩を返したら忘れないよう丁寧に丸を付けていっている。

涙が止まらなかった。

つらかった時、優しい言葉をかけてくれた人。
言葉に出さずともきにかけてくれた人。
どんなに支えになったことだろう。
恒ばぁ曰く、
「恩はすぐに返したらそれっきりになってしまう。少しずつ、長くかけて恩を返していけば、お付き合いも長〜くなるでしょ。」
これからどんなことがあっても、この恩だけは忘れてはならないし、少しずつでもいいから何かしらの形でゆっくりと返していきたいと思った。

「今年こそは年賀状を書こう」
そんな流れで、これまでに戴いた葉書を久しぶりに紐解いてみる。
心のこもった手書き文字の数々に心が痛む。筆無精を理由に、なおざりにしていた自分を深く反省した。どれだけの不義理をしてきたことか。

「一人でも生きていける」とたかをくくり、ろくに足元も見ないで遠くばかりを見つめていた。ちっともみえていなかった。
あるべき居場所とは、私を受け入れ、必要としてくれる此処にある。
仕合わせはいま、此処にあるんだって。
あてにならない何処か、なんかじゃない。此処なんだ。

『人は一人じゃ生きていけない。』
そんな常套句、とっくに聞き飽きたけどこれってやっぱ本当みたいよ。
そういえばほぼ日手帳に書いてあったっけ。

「一緒に夕飯を食べて、楽しかったらそれでいいじゃないか」

友人たちと楽しく飲んだ帰り道、ふとそんなことを思った。
# by gakoyo | 2007-12-28 00:01 | ザッキ
10/22
男とか女とか
そんなの関係無しに
やましいことは一切無しで
いろんな人とふれあってみたい
 
それが私にとって一番のしあわせなんだと思う。
もう私は自由だ
誰にもしばられない

「あんまり誰かを崇拝するのは自分の自由を失うことだよ」

もう私は自由を取り戻したんだ。
# by gakoyo | 2007-10-22 12:05 | ザッキ
ま、いっか!
ま、いっか!

だめならだめでつぎ、つぎ!

記憶力やら、分析力はもういい。

大事なのは発想力と決断力。
「電球ピッカリ!」だ。

前進あるのみ。
# by gakoyo | 2007-10-02 10:48 | ザッキ
誕生日
今年もこうして、ありがたく
誕生日を迎えることが出来ました。

こうして生かされているのは
他力の恩恵に預かっているからです。
おおむね元気にやっております。

ひとつのことが滞るとそれに一点集中してしまう。
だからこんなにも恵まれているのに
そんなことすっかり忘れてしまうのだ。

なにもかも上手く行ったら
それはそれで不安になるくせに。
ちょっと悔しいくらいがちょうどいい。
ちょっとうまくいかないくらいが
実は一番仕合わせな状態なんだ。

ここ数年でようやく
「感謝する」ことをおぼえました。
だからこれからも感謝し続けたいと思います。
忘れないように。
ちょっと気が緩むとすぐわすれるから。
忘れるべきことなら、もっとたくさんあるはずなのに。

感謝をわすれず、
都合のわるいことはみんな忘れてまえ!ってことで。

ありがとうございます。
そして、これからも
よろしくお願い致します。

# by gakoyo | 2007-09-28 10:48 | ザッキ
誇り
「自信を持て」と言われるのと「誇りを持て」と言われるのは
後者の方がしっくりくる。

へこんでるときに
「もっと自信を持ちなよ!」
と励まされても「いったい何に?」と訊き返したくなる。

頭もよくなきゃぶさいくで、デブで、金もない。
異性にもモテなけりゃ、若くもない。
いったい自分の何を信じろって話だ。

こういっちゃナンだがすごく無責任な励ましに思える。
人間いくらなんでもバカじゃない。
ただやみくもに自信なんてもてるはずがない。
ヒトと比べては落ち込み、勝るところのない自分にへこみ、
そのうち「私なんて生きてる価値ないんじゃないだろうか」
なんて考えてしまう。

じゃぁ、「誇りを持て」というのはどうだろう。
ちょっと仰々しいというか普段はあまり使わない言葉だ。
むしろこっちのが漠然としているようにも思えるけど
何故かわたしにはしっくりくる。

実際、ある音楽番組で司会者が
あるミュージシャンを讃えるのに
「常に誇りを持って生きていくことの大切さを
 彼らは伝えてくれていると思います。」
と、語っているのを観て
ふと考えたのだった。

で、わけを調べるため、さっそく辞書で検索してみる。
ほこり【誇り】
誇ること。名誉に感じること。また、その心。

そして類義語に、
→じそんしん【自尊心】 →プライド 

とあったので、それも調べる。
じそん‐しん【自尊心】
自分の人格を大切にする気持ち。また、自分の思想や言動などに自信をもち、他からの干渉を排除する態度。プライド。



ああ、なるほど。こっちのが具体的だからだ。
 『自分の人格を大切にする気持ち。』
いい言葉だ。
この世に生を受けたってことは
“人格を与えられた”ということだ。
これは想像以上の責任を伴うことであり、
それをみんな忘れすぎている。
勿論、わたしも含めて。

見た目がどうの、キャリアがどうの、
そんなセコい範疇の話ではない。
たったひとつの“人格”を与えられた段階で
ヒトは与えられた僅かな人生のなかで
「自分」をフル稼働していかねばならない
“義務”がある。
何億もの精子のなかから選ばれた
生え抜き中の生え抜きなのだから。

「どうせ私なんて・・・」と卑屈になってる暇があったら
おのれの人格を守り、フル稼働させてみろ。
生きることに意味なんてない。あるのは“義務”だけだ。
だから生きなきゃ行けない。
どんなに辛くても恥ずかしくてもさびしくても
みっともなくても情けなくても途方に暮れても、
“生き抜くこと”が人間に与えられた義務なのだ。
(限界を超える苦しみを負ってしまった方を除いて)

でもその義務を全うすることはむつかしい。
だから人は「誇りを持て」と諭すのだろう。
ただ、「生きる意味」だの「理由」だのと
ぐだぐだ理屈をこねてる暇があったら、
目の前のことを精一杯やればいい。

この言葉に、甘えや媚は感じられない。
むしろ両頬をひっぱたかれたような
厳しさと優しさを感じる。
言うは易く行うは難しだけど。
# by gakoyo | 2007-09-15 14:05 | ザッキ
他愛もなくない話
世の中、答えのないことの方が多い。ずっとずっと多い。
明確な答えなぞ、ほんの一握りの問いにしか存在しない。
最近それに気がついた。

他愛もない、下らない会話でも
心が通じ合うことってあるんだな。
ヒトが言葉を用いるようになって、いったいどれくらい経つのかなんて知らないけど、
言葉に依存しすぎるときっと野生を忘れて行くんだろう。

ことば信者になった

「空気を読め」、と盛んに言われるようになったのは、
空気を読めない人間が増えてきたからだ。

ただ会話ばかりしてそれだけで読めるようになるわけでない。
ことばの内容ばかりに固執して会話から生まれるヴァイヴスをおろそかにしていると、
たぶん空気の読めない奴になるんだろう。
携帯が普及してメールでしか繋がれない相手も居る。
自分から逢いに行かなくても頻繁にメールすることで事足りてしまう。
しかし、所詮文字は文字だ。
どんなに絵文字やアスキーアートを駆使したって
文字でヴァイヴスは絶対に伝わらない。
言葉依存、言葉信者化する原因のひとつだ。
会話を「文」で代替するのは実はあまり健全なことではないのかもしれない。




他愛も無い話につき合うのははっきりいって骨が折れる。
私のように空気の読めない人間は特に、である。
どーでもいい話に耐えられない。
自分が参加できないといじけて
「はやくおわんねーかなー。帰りてー。」と内心思ってしまう。
でも話題についていけなくても、興味の無い話でも
その場を楽しむだけで通じ合える何かがあるんだ。
それにもっとはやく気付いていれば...

得意分野でなくてもみずから興味を持って向き合う努力が必要なのだ。
いや、本来なら努力なんてしなくても、ただこの雰囲気に身を委ねていればいいだけなのだが、目立ちたがり野で我が儘な性分だからどうしても流れを自分に向けたい。
せっかく生まれた空気をぶった切ってしまいたい。
輪の中心にいたいという欲求にかられてしまうのだ。

面倒くさいなー。そんなんどーでもよくね?と。
今までどれだけの「他愛無いようでなくもない話」を避けてきたことか。
しかしこれではいつまでたってもコミュニケイションスキルなんてあがるわけがない。

聞き上手になるのだ。それも空返事ではだめ。
真剣に相手のことを知りたい、と思って向き合うのだ。
それがたとえその日はじめて出会った相手でも、
その瞬間、その空気を楽しむ。

あとにも先にもない、『いま、目の前にいる誰か』と関わること。
空気をシェアすることなんだ。
この瞬間は一度きりなのだ。
正直しんどいけれど...。

空気をシェアすることは“謙虚さ”の現れでもあるのかもなぁ。
世の中、自分本位なアイ・ミー・マインが増えているのも
まったく無関係ではない気がしてきた。



# by gakoyo | 2007-09-12 11:58 | ザッキ
秋の気配
ライジングサンロックフェスティバルに行って来た。
初めての北海道。飛行機に乗る事自体、久しぶりだ。
少なくとも成人してから初の搭乗。
石狩湾は既に秋の気配。
澄んだ空気とちょっと切ない肌寒さ。
暦ではなく、体で「秋」を認識したのは何年ぶりだろうな。
息を大きく吸い込むと胸がきゅんとするこの感じ。
少なくとも子供の頃には毎年感じていた秋の皮膚感覚を
真夏のエゾで思い出す。
どのライブも良かったけれど、
忘れかけてたこの気配を思い出せたことがなによりも嬉しかった。

ライジングは初参加で面食らってついてけない部分もあったけど、
今になって「行ってよかったなあ」としみじみ思う。
みんながこの日のためにがんばって仕事してお金貯めて
気合い入れて臨む理由がよく解った。
これまでは「旅行にウン万使うくらいならこっちで欲しいもの買うよなー」
って考えだったけど、旅で得るものってほんとプライスレスなんだね。
こればかりは行ってみなくちゃわからない。 価値感、かなり変わった気がする。

空の旅もとても楽しかった。
雲の海を眺めていると人生観が変わる、、、っていったら大袈裟かもしれないけど、
いかにちっぽけな世界に押し込められ、取るに足りないことで悩んでいたかがわかった。
ちょっともやもやが解けた気がした。

旅って自分をリセット出来る。だからみんな旅をするのかな。
いままでリセットの仕方をしらないまま鬱々と生きて来たんだなぁ、私は。
食いもんはどれをとっても美味いし、
お会いした方々も知ってる顔、初対面かかわらずみんな
優しくて面白くてあったかい人達ばかりだった。

やっぱ何もかもがデカイのだ。
場所もでかいなら人々の心もデッカい。
だから開放感があって、こっちも心をデッカく広げなきゃなんだ。

次回は人の目気にせず、もっとはしゃぎまくってやるぞ。
リベンジだ!
# by gakoyo | 2007-08-23 18:17 | ザッキ
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